ドラマ「八月の声を運ぶ男」辻原保のモデルは誰?
2025年8月に放送されるNHKドラマ「八月の声を運ぶ男」。物語の主人公、辻原保を演じるのは本木雅弘さんです。辻原のモデルとなったのは、被爆者の証言を40年以上にわたり記録し続けたジャーナリストの伊藤明彦さんです。
伊藤さんは生涯で全国1,003人もの被爆者から直接話を聞き、その貴重な証言をテープに収めました。ドラマでは、この膨大な記録と、平和への強い思いを未来へつなごうとした伊藤氏の人生が描かれます。
ドラマを通して、現代に生きる私たちが改めて平和について考えるきっかけを与えてくれるでしょう。
伊藤明彦のプロフィール

プロフィール | |
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生年月日 | 1936年11月5日 |
出身地 | 東京都(本籍・山口県宇部市) |
学歴 | 海星学園中学・高校 → 早稲田大学第一文学部(西洋史専攻)卒業 |
職歴 | NBC長崎放送記者 → フリージャーナリスト |
主な活動 | 全国の被爆者証言記録(1,003人、オープンリール951巻) |
受賞歴 | 平和・協同ジャーナリスト基金賞(2001年) 吉川英治文化賞(2008年)ほか |
死没 | 2009年(72歳)、肺炎により逝去。遺志により献体。 |
伊藤明彦の生い立ち
伊藤明彦の家族構成
被爆者ジャーナリスト伊藤明彦さんは、8人兄弟の末っ子として生まれました。
大家族の中で育ち、双子の兄がいました。温かい家族の絆に支えられ、穏やかな幼少期を過ごしたことが、彼の人間形成に大きな影響を与えました。
長崎への移住と幼少期の暮らし
伊藤さんは父の転勤に伴い、長崎へ移住しました。
戦時下の困難な状況の中でも、家族と共に支え合いながら生活しました。長崎での経験は、後に彼が被爆者の声に耳を傾けるジャーナリストとなる原点の一つとなりました。
中学・高校時代
長崎の海星学園中学・高校に進学した伊藤さんは、学生時代に歴史や社会問題への関心を深めていきました。
学生時代の歴史や社会問題の学びが、後に被爆者の証言を記録するという使命へとつながっていきます。
大学時代
伊藤さんは、早稲田大学第一文学部で西洋史を専攻しました。
大学では、歴史を学ぶ中で物事を多角的に捉える視点を養い、ジャーナリストとしての土台を築きました。
NBC長崎放送時代
伊藤さんは大学卒業後、NBC長崎放送に入社。
報道記者として、地域に根ざしたニュースや社会問題を取材しました。
NBC長崎放送での記者経験が、被爆者の証言を記録する活動のきっかけとなりました。
ジャーナリスト時代
1968年から、業務として被爆者の証言取材を開始しました。
当初は長崎を中心に活動していましたが、次第に全国へと範囲を広げました。
生涯で1,003人もの被爆者から貴重な証言を記録し、平和のメッセージを未来へつなぐことに尽力しました。
NBC長崎放送に在籍していた時期から個人的なライフワークとして取り組みました。
引退後から死去まで
伊藤さんはジャーナリストとして第一線で活躍した後、母の介護のため長崎へ戻りました。
引退後も被爆証言の録音や映像化の活動を精力的に続け、平和への強い思いを伝え続けました。
2009年、72歳でこの世を去りましたが、伊藤さんが残した記録は今もなお多くの人々に平和の尊さを訴えかけています。
伊藤明彦はなぜジャーナリストになったのか?
1945年8月9日、伊藤さんの家族7人は長崎市内で被爆しました。
終戦後に長崎へ戻った伊藤氏も入市被爆を経験し、この体験が彼の人生の原点となりました。
「被爆を語る」を取材する背景とは?
NBC長崎放送に勤務していた1968年、伊藤さんはラジオ番組「被爆を語る」の取材を開始しました。
取材を通して、多くの被爆者が高齢化し、貴重な証言が失われつつある現状を目の当たりにして危機感を覚えます。被爆の記憶を体系的に記録する必要性を強く感じました。
ラジオ番組「被爆を語る」は後に「長崎は証言する」として発展し、現在も放送が続いています。
全国を巡る“声”の収集と退職と私財を投じた記録活動
伊藤明彦さんは、被爆の記憶を後世に残すため、安定した職を辞して組織の枠を超えた活動を決意しました。
私財を投じて全国の被爆者を訪ね歩き、宿泊費や交通費、録音機材まですべて自費で賄いながら、生涯で1,003人の証言をオープンリール951巻に収録しました。
膨大な記録には、原爆投下時の惨状や被爆後の苦しみ、平和への願いなどが生々しく刻まれています。
伊藤さんの集めた貴重な記録は、全国の図書館や平和資料館に寄贈され、平和教育や研究に活用される重要な資料として後世に残されています。
家族との暮らしと母の介護、被爆者への深い共感へ
介護の日々を通じて、伊藤さんは被爆者である母との暮らしの中で、被爆体験への向き合い方をさらに深め、被爆者に対する共感と理解を一層深めることとなりました。
母の死後も活動への情熱は衰えず、2006年にはCD作品『ヒロシマ ナガサキ 私たちは忘れない』を制作・寄贈するなど、精力的に記録活動を続けました。
晩年と遺したもの〜平和へのメッセージを未来へ〜
晩年にはビデオカメラで349人分の証言を映像化し、声だけでなく表情や語り口も記録することで、より臨場感のある証言を残しました。
2009年、72歳で亡くなりましたが、彼の遺志により葬儀は行われず、医学の発展のために献体されました。
伊藤さんが残した膨大な記録は、被爆の実相を伝える貴重な証言として国内外で高く評価され、平和教育や研究に活用されています。
伊藤明彦が集めた被爆者の声・内容
原爆投下当日の惨状 | 突然の閃光と轟音、破壊された街、そして多くの命が失われた光景が克明に語られています。 |
被爆後の健康被害と苦しみ | 原爆症による長期にわたる身体的な苦痛や、精神的なトラウマに苦しむ声が記録されています。 |
差別と偏見 | 「ピカドン」と呼ばれた被爆者たちが、就職や結婚において不当な差別や偏見に苦しんだ実態が証言されています。 |
平和への願い | 家族を失った悲しみや、二度と同じ過ちを繰り返してはいけないという強い平和への願いが込められています。 |
伊藤さんの集めた被爆者の証言は、単なる歴史的記録ではなく、被爆者一人ひとりの人生と尊厳を伝える貴重な資料です。
伊藤さんが残した膨大な記録は、平和教育や研究において活用され、核兵器のない世界を目指すための重要なメッセージを今に伝えています。
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まとめ・FAQ
- 伊藤明彦さんの代表的な活動は何ですか?
全国1,003人の被爆者証言を録音し、その記録を平和資料館や図書館に寄贈しました。被爆者の生の声を通して、平和の尊さを伝えることに尽力しました。
- NHKドラマ「八月の声を運ぶ男」との関係は?
2025年8月放送の同ドラマで、本木雅弘さんが演じる主人公・辻原保のモデルとなったのが伊藤明彦さんです。
タイトル:NHKドラマ「八月の声を運ぶ男」
放送日:2025年8月13日(水) 総合 夜10:00~11:29 [全1回]
2025年8月16日(土) BSP4K 7:30〜8:59[全1回]
公式HP:https://www.nhk.jp/p/ts/663796R2L1/- 証言はどこで聞くことができますか?
伊藤さんが収集した証言の一部は、長崎原爆資料館をはじめとする全国の平和資料館で、音声や映像として公開されています。
【長崎原爆資料館】
所在地:長崎県長崎市平野町7番8号
電話番号:095-844-1231
開館時間:4月、9月~翌3月 8:30~17:30 (入館は17:00まで)
5月~8月 8:30~18:30 (入館は18:00まで)
8月7日~9日 8:30~20:00 (入館は19:30まで)
休館日:12月29日~12月31日(※図書室・ホールは12月29日~1月3日)
公式HP:https://nabmuseum.jp/
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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