新潟県ロシア村の火事や行方不明の真相!場所や当時と現在の比較!

新潟県の山間にあった異国情緒あふれる“ロシアの村”は、1993年9月1日に開園しました。

しかし、華やかな開園からわずか十数年後、そこは火事行方不明事件の舞台として名を刻むことになります。
建物は崩れ落ち、静まり返ったはずの廃墟に、今も何かが潜んでいるという声は絶えません。

ロシア村で何が起こり、今はどうなっているのか?
そして、テレビ番組「真夏の怪奇ファイル」が追った現在の姿とは。

噂の真相や現在の様子など、ロシア村について詳しく調査しました!

この記事でわかること
  • 火事と行方不明事件の真相
  • ロシア村の場所と現在の姿
  • 真夏の怪奇ファイル内容
目次

火事と行方不明事件の真相

「真夏の怪奇ファイル」で心霊現象が取り上げられ、今なお”招かれざるモノ”がいる場所とされています。

出典:Wikipedia(2013年撮影)
  • 2009年に旧ホテル棟で不審火による火災が発生する
  • ニコニコ動画の配信者が行方不明になる

それぞれの真相を、詳しく見ていきましょう!

火事の詳細と影響

閉園後の2009年9月22日午後6時頃、コンクリート3階建ての宿泊施設「マールイホテル」の1階ホール付近から出火し、ホテルはほぼ全焼しました。

この火災は不審火の可能性もあり、この事件を契機にロシア村の廃墟化が進んで心霊スポットとしての噂が広がりました。

  • 2009年の火災でほぼ全焼しましたが、2025年現在もホテル棟の建物の外観はほぼそのまま残っている
  • ホテル棟は廃墟化が進んだ場所にあり、建物内部の一部はまだ使えそうな部屋も残るなど不気味な雰囲気を増幅させている
  • 特に地下室やフロアの機械室、トイレなどで心霊現象が報告されており、テレビ番組などでも話題になっている

この火災後、施設の解体・撤去が進みましたが、廃墟としての人気は衰えず、地域の若者を中心に肝試しの場として知られるようになりました。

配信者が行方不明になった真相

心霊スポット巡りをメインに活動していた「茶飯(チャメシ)」というニコニコ配信者がこの噂の中心人物とされています。

2000年代から2010年代初頭にかけて新潟ロシア村を訪れ、肝試し配信も行っていましたが、その後も2011年ごろまで動画投稿や配信を続けていました。

  • 2015年以降は投稿が途絶え、2016年にはSNSに新年の挨拶をした記録も残っており、行方不明ではなく単に活動休止または引退した状態と見られている
  • ロシア村内には茶飯の名前の落書きも実在し、彼が現地に足を運んでいた事実は確認できますが、失踪などの事実はありません

現在も彼の動画や配信のアーカイブは残っており、復活の可能性も完全には否定されていません。

この行方不明説はファンや視聴者の噂や誤解、都市伝説から生まれたものと考えられます。

新潟ロシア村の場所と現在の姿

新潟ロシア村は1993年に開園した、日本で初めてのロシア文化交流を目的としたテーマパークです。

1999年にメインバンクであった新潟中央銀行が破綻し資金繰りが悪化、2003年11月に休業・2004年4月に正式に閉園しました。

廃墟となった現在でも廃墟マニアや心霊スポットとして知られ、廃墟ツアーが企画されるなど独特の人気を保っています。

ロシア村の場所

新潟県阿賀野市笹神地区(旧・北蒲原郡笹神村)の山間、新潟駅から車で約1時間、福島方面に約30キロの立地にありました。

出典:Wikipedia

当時のHPが残されており、アトラクション名や、このように交通アクセス方法もそのまま残っています。

開園当初は新聞やテレビで話題となり、冬季の豪雪が来園者数に影響したこともありますが、観光客数は伸び悩みました。

地元の文化交流の拠点としての期待は高かったものの、経済状況の変化により閉園に至った背景があります。

当時と現在の姿

当時は、スーズダリのロジェストヴェンスキー大聖堂を模した教会、美術館、ホテル、劇場、マンモス博物館、ロシア民族資料館、動物園、体験工房、レストランなど、多彩な施設がありました。

出典:Wikipedia
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