【1995年】函館ハイジャック 犯人のその後と現在は?正体を徹底解説!

函館ハイジャック 犯人の名前・正体!その後や現在について徹底解説!

1995年6月に全日空で起こった函館ハイジャック事件。

日本で初めてハイジャック事件解決のため強行突入作戦が決行されるなど、異例の事件となり注目されていました。

当時騒がれていたオウム真理教とのかかわりもあるなど呟いた犯人。

そんな函館ハイジャック 犯人の名前・正体!その後や現在について徹底解説します。

  • 函館ハイジャック 犯人の名前は?
  • 函館ハイジャック 犯人のその後と現在
  • 家族とのその後について
  • 犯人がハイジャックした理由
  • 函館ハイジャック犯人の正体
  • オウム真理教とのかかわりは?
  • 函館ハイジャックの犯人が捕まった流れ
目次

函館ハイジャック 犯人の名前は?

6月22日の事件後の新聞にて本名・久津見文雄(くつみふみお)と公表されています。
事件当初、乗客内で唯一身元不明だった「コバヤシサブロウ」とされていました。

事件後の報道では‟休職中のエリート銀行員”と出ています。

久津見文雄は事件当時精神疾患を患っており、当時のプライバシー保護の観点から本名を大きく報道されることはありませんでした。

また事件発生後の6月21日深夜に「コバヤシサブロウ」が偽名だと撤回しています。

「小林三郎」という漢字は偽名に漢字を当てはめたものなのとのことです

函館ハイジャック 犯人のその後と現在

1999年に懲役10年判決で現在は出所している可能性大。
当時53歳なので現在83歳。

精神疾患を患っていた犯人の責任能力の有無が争点となりました。

詳しい判決内容
  • 1997年3月21日に懲役8年の実刑判決
  • その後検察・弁護士双方が控訴し1999年札幌高等裁判所より懲役10年に確定
  • 全日空も民事訴訟し損害賠償5,300万円の支払い命令

判決の理由として久津見は事件当時鬱の診断を受けておらず具体的な供述もしたため責任能力はあったと判断されました。

家族とのその後について

事件を起こす2日前、本妻に離婚を切り出しています。

しかし事件前日、本妻から財産分与など納得いかないとのことで離婚はできなかったようです。

荷物は東京大田区の自宅から愛人の家に運んでいたみたい

真相は不明ですが、この事件を受け子供も3人いるのでおそらく本妻とは離婚しているのではないでしょうか。

犯人がハイジャックした理由

ハイジャックした理由は愛人との二重生活など金銭で困窮したからとのことです。

もう一つの理由として「自殺をして生命保険で家族にお金を渡したかった」という話もあります。

どっちにしてもお金だね

ちなみに事件2日前にハイジャックに必要な備品の用意をしていたようです。

函館ハイジャック犯人の正体

久津見文雄の経歴
  • 1964年神戸大学卒業後、東洋信託銀行(三菱UFJ信託銀行)に入所
  • 本店営業部貸付科に配属し宇都宮支店に移動
  • 出世し1986年1月本部調査役に就任
  • 企業買収や不動産で実績を出しエースと呼ばれる
  • 1989年秋銀座クラブで愛人を作り妊娠させる
  • 1990年5月愛人名義で会社設立
  • それがバレ左遷
  • 1992年久津見が体調不良に(喘息・自立神経統合失調症)
  • 1994年10月休職
  • その後オウムが事件を起こしそれに便乗しハイジャック決行
  • 愛人と別れ事件2日前の1995年6月19日本妻へ離婚申し出

部下からの信頼も厚く、部下のためにシャワー室や図書館経由の定期券購入を認めるなど一見いい上司です。

ですが、会社設立の理由は愛人と子供にお金を渡すためだったようです。

休職後も愛人との二重生活は続き、愛人との子供も入園するなどお金がかかるようになったみたい

オウム真理教とのかかわりは?

事件当初教祖の為と言っていたが実際は無関係だった

ハイジャックを決行した決め手はオウムの事件を受けてだったようです。

『自分が飛行機を乗っ取り、法規的処置で浅原を釈放させ飛行機に連れてくればいい。』と考えたそうです。

ただこのオウム真理教に関する感情は後付けで、目的はお金だった説が濃厚とのことです。

函館ハイジャックの犯人が捕まった流れ

事件から15時間後の6月22日午前3時40分頃SATが突入し3時45分に逮捕。

複数犯に見せかけていた久津見ですが、スニーカーがずっと白で同じというのを乗客に見破られ機内から警察へ通報される。

その通報を受け警察は突入を決意。

警察は3班に分け、A班B班は久津見逮捕役・C班は人質救出役。

突入後久津見は警察に襲い掛かるが警棒で後頭部を打たれその場に倒れこみ逮捕。

逮捕は警察の動きがわからないよう暗い明け方に決行しました。
ですがマスコミの報道を制御していたのが裏目になり、機内でラジオを聞いていた久津見が函館空港の状況が一切流れないことから警察の動きに気付いたそうです。

それよりも早くSATが動いたことで当事件は解決になりました。

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まとめ

ここまで函館ハイジャック 犯人の名前・正体!その後や現在について徹底解説しました。

まとめ
  • 6月22日の事件後の新聞にて本名・久津見文雄(くつみふみお)と公表されています。
  • 事件当初、乗客内で唯一身元不明だった「コバヤシサブロウ」とされていました。
  • 函館ハイジャック 犯人のその後と現在
    1999年に懲役10年判決で現在は出所している可能性大。
  • 当時53歳なので現在83歳。
  • 全日空も民事訴訟し損害賠償5,300万円の支払い命令
  • 家族とのその後について事件を起こす2日前、本妻に離婚を切り出していますが離婚したかは不明
  • ハイジャックした理由は愛人との二重生活など金銭で困窮したからとのことです。
  • もう一つの理由として「自殺をして生命保険で家族にお金を渡したかった」という話もあります。
  • 函館ハイジャック犯人の正体は東洋信託銀行のエリート銀行員だった
  • オウム真理教とのかかわりは無関係だった
  • 函館ハイジャックの犯人が捕まった流れ
    事件から15時間後の6月22日午前3時40分頃SATが突入し3時45分に逮捕。

お読みいただきありがとうございました。

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